2014年7月14日月曜日

神との対話としての祭り、ハレの日としての祭り、観光資源としての祭り(すり替え的移行)

そもそも「祭り」=「フェスティバル」とされ観光資源化されたことで本質は変容したことになり地域の伝統の保存の不可能さは決定的となる。つまり観光政策は経済政策であり伝統文化は経済のために軽薄に流用利用されているに過ぎず、祖先から受け継いだ伝統文化の子孫によるコモデティ化という毀損ということがベースにある。それが世界的規模のムーブメントとなっているのがユネスコの「世界遺産」である。伝統文化を受け継ぎ観光資源的に活用するしかないと決め込んでいる子孫たちはもはや伝統そのものをそのままの形でその生命を保ち続けることが不可能なだけに、自らが先祖を裏切るものたちであると確信犯的にそれらを活用して行く必要がある。
なぜ伝統文化がコモデティ化してしまうかは、もはや「共同体意識」が誰の身にも自明のものではなく入れ替えの効く選択的なものとなってしまったことに理由がある。
「世界遺産」においては表面上人類に共通して重要な遺産を世界中からの監視のもと保存して行こうというものだと思うが(いま機内なので定義をWebで確認できない)、認定を受けた各世界遺産において、その祖先から受け継いだ各世界遺産の不遜な子孫たちは世界中から金を集めるためにその本質を無視し捨て去って表面上の奇異さで金を稼ぐことに躍起になっている。ユネスコはさらに毒を持って毒を制す的なやり方で遺産の保存を達成しようという向きもみえる。

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