2015年7月25日土曜日

滑川高校ヌンチャク君にみる英語発信の重要性

昨日の甲子園埼玉大会の試合で話題になった滑川高校の代打選手のパフォーマンス。

 高野連のお約束なツッコミが入ったとスポーツ新聞やネットニュースで話題になっていますが
僕が注目したのはYoutube上の再生回数の比較。 

同じ動画だからどんなタイトルつけようが同じようなものなのに、
以下のふたつでは再生数に20倍くらいの差がついています。

  【話題】高校野球 滑川総合の代打のパフォーマンス
再生回数:本文執筆時点で 1,028,030回

  滑川総合 馬場優治選手(3年夏)/ Fantastic Highschool BB Player 150723
再生回数:本文執筆時点で 5,848,637回 

彼のパフォーマンスを扱った動画はほかにも沢山あがっていて、
 視られた回数は分散されているものと思いますが、
最初に挙げたものは日本語だけで構成されたタイトルのもののうち再生回数が最も多いもの。
あとから挙げた方はタイトルに英語を含むものです。 

コメント欄を見ても英語における影響力の大きさが感じ取れます。 

英語話者は日本語話者の20倍いるともいわれますので、
同じやるなら"英語で書かなきゃソンソン"といえそうです。

2015年7月24日金曜日

対立構造を煽るバカ報道について

いま"闇通訳ガイド"というものをおどろおどろしく表層的になぞるだけの報道をワイドショーが展開されていて、親父が居間で午睡しながらそれを見ていたが、ガイドすること自体自然なもので、あとからグレーゾーンやブラックを作ってしまう制度そのものに問題があることにはおそらく触れられないのだろう。 規制の裏側には裏をかく人や抜け駆けをする人も必ず出るし、リスクをものともせず違法行為を堂々とする者もいるが、それが社会的に大きなものでなければ過剰に取り上げて対立を煽るようなものにもっていってはならない。 またこうした規制を知らずに行っているものや、また規制自体のハードルが高すぎて実際的ではないということもこの通訳ガイドの制度を例に多くみられる。 報道はバカに合わせて"心配"エンターテイメントや"怒り"エンターテイメントで収め単純化した対立構造を煽るのではなく、なぜそうなるのかという社会学的観点から全体的構造とそれによって得られている効果と出てきている問題をわかりやすく抽象化し、視聴者に投げかけ、知の共有を促すものでなければならないと思う。 エンターテイメント性を高めるためだけに無用に煽る音楽やナレーションの声がテレビから聞こえてくるごとにバカが増産され対立構造が増幅していく負の効果を考えると、こうしたものこそ自主規制されるような文化性を我々が持たなければならないのだと思う。 "表現の自由を制限することを主張する"表現の自由を声高に発するというのは明らかにバカだが、こうしたバカを増幅する衆愚の報道も無くなってもらいたいものだと思う。 ただし、それが規制された方がいいかどうかといえば、危うさを感じ「そうは思わない」と言わざるを得ないが。

2015年7月14日火曜日

任天堂の故・岩田聡のお父さんは僕にとって気になる人だった

亡くなられた任天堂の岩田聡さんのお父さん、僕と同姓同名だったんだよね。 元室蘭市長で、地元の名士だったとシンガポールにスポーツ雪合戦を紹介にこられてた日本雪合戦連盟の会長に聞いたことあったっけ。 その時の取材して出来た記事がこれ。 炎天下のシンガポールでスポーツ雪合戦‐日本観光をアピール(シンガポール経済新聞) 自分の名前をエゴサーチしてさ、そしたらこのお父さんがいつも僕よりも目立って出てくるのね。 それから人物検索スパイシーなんかでさ僕と彼が混ざったプロフィールになってたり。 なんかちょっと悔しかったり、名前だけで関係ないのに誇り高かったり、いつか超えてやろうなんて思ったり。 この常夏の雪合戦があった年の翌年、2008年にはこの同名のお父さん、83歳で亡くなられてなんかちょっと寂しくなって。これで彼が新しいページを開くことは無くなったからあとは僕が距離を縮めていくだけだなって思ったりしてた。そんな感じで手を合わせたっけかな。 そんな感じでこの息子さんである岩田社長のことは他人だなんて思えなくって。でも他人だから騒ぐこともしてこなかったけど。なんだかショックあるね。 お父さんが亡くなられてからまだ7年なのにね。 ほんとご冥福をお祈り申し上げます。 僕なんかまだなんにも世に残せるものなんか作れてないから頑張んなくちゃ。

2015年7月13日月曜日

平面ガエル

深夜。撮り溜めたビデオを今日の分だけ見終えて、マグカップの底に残ったお茶を一口で飲み終える。

暗がりの流し台でマグカップをゆすぎ、裏返して脇に置いて一歩下がったところでプチリと音がした。

あの空気の入った梱包緩衝材をうまく潰せた時のようなクリアに空気を破る音。

裸足で何か踏んだらしい。

「あのような音がするものは夕食を思い出してみても思い付かないが」

前かがみになり左足を内側に上げて足裏を見る。

なにやらうずらのたまご大の楕円形の輪郭が土踏まずにくっついている。

「なんだろう?」

少し慎重に指先を界面に差し入れるように触れると

その楕円形の物体は落ちた。

キッチンの電気を付けずに少し離れたリビングからのうっすらとした光が届く中、

床に落ちたその物体を眺めようと腰をかがめ、手で拾おうかと逡巡する。

「ぴよこん」

そいつは5センチ跳んだ。

跳んで動かなくなった。

アマガエルだったのだ。

あぁ殺生をしてしまった。

ティッシュで軽くくるみ手のひらに。

腸が下腹部からはみ出しているようだ。

「どうしよう」

仏に拝むように両手を合わせ手と手の間にそいつをティッシュと一緒に挟んだまま念ずる。

「悪かった」と思いつつ。

虫が見つかったときのようにこのまま窓からティッシュごと外に出し、
ティッシュをつまんでそいつを振り落とそうかと考えたが
こいつの場合はそれで生き残る可能性はほとんどない。
この体では繁殖まで至るはずがない。

きっとアリがこいつをみつけ、分解して持ち去ってしまうだろう。

苦しい思いをさせたくないと思った僕は、
結局彼をティッシュごとゴミ箱に葬った。

そいつは僕の足の裏でぴょん吉となることはなかった。

2015年7月9日木曜日

オリンピック開催権はギリシャに禅譲を

オリンピック毎回の世界ドサ回りをやめて新国立競技場をギリシャのアテネに作って毎回ギリシャで開催すればいろいろ解決するように思う。

今週日本政府はもう何回目になるかわかんないミャンマー向けの円借款を1000億円規模でやったし、それも2年前には3000億円の返済の棒引きしてるからギリシャに円借款してあのアホなデザインのスタジアムを彼の地に作ればいい。

ドサ回りで世界中にオリンピック廃墟を作り続けるより、これ以上聖地にふさわしい場所などないギリシャの地で毎4年ごとに開催すればギリシャの金回りも国際的ステータスも国民のプライドもどれだけ回復することが。

2015年6月30日火曜日

GOT(モノのガラパゴス)、GOS(サービスのガラパゴス)


ガラケーから始まった日本のガラパゴス的性質。
利用者を細分化し島宇宙を作り、
どれだけニッチで無視される機能を入れこむことが出来るかの
競争を狭い社会で行い、
フロンティアへ向かうことを忘れてしまっていたか。
これが認識され「我々のケータイはガラパゴス」なのだと認識されたのはまだ記憶に新しい。

よく考えてみて欲しい。

我々はモノにおいてもサービスにおいてもガラパゴスを起こしていないか。

細かい差異はあるが実際の効果はどうかさっぱりわからない美容品、化粧品、機能性飲料、トクホ商品、

多様であることは楽しいことだが、実際に補助金なしに経済的に回せられるのかどうかわからない地方にあふれる第六次産業関連商品。

「おもてなし」って言葉を唱えればいいと思っている過剰と不足がまだらで一方的なホスピタリティ。うるさすぎるアナウンス。

IOT(モノのインターネット)時代がやってきてなおOMGなGOJ(オーマイガッな日本のガラパゴス)。

2015年5月21日木曜日

Grid Hostel + Loungeに泊まる

今回の東京滞在も新し目のエコノミーホテルに。

東京のホテルも最近は料金が非常に高くかつてはよく止まっていたアパホテルも数年前は平日7000〜10000円、場所にもよるけれど5000円という日もあったけれど、いまや毎日12000円以上。

ビジネスホテルがそういう感じで高くなったところ、3000-4000円代のカプセルホテルとの間の価格帯がスカッと空いてしまった。

これはきっと外国人旅行者の増加が影響しているものと思われるけど、
外国人旅行者が日本のカプセルホテル的なものに泊まってみたいというニーズも発生し、この空いた価格帯を埋めるように新しいホテル/ホステルが出来てきているようだ。

ビジネスホテルにも言えるけれど、従来のカプセルホテルはどこの施設も古くなってきていて利用客もまた年齢が高くなってきている様子でどこか退廃感が漂う。

「僕はまだ終わっていない」(笑)って思っているのでなるべくそういうところは利用したくない。また長らくシンガポールにいたので多民族の環境が心地よく必然この新しい宿泊施設は僕にとっては願ったり叶ったり。

利用する外国人の年齢層も若めでまだ人生に前向きで希望を持っている感がいい。設備にいろいろ趣向を凝らした感があり、それぞれの施設によって様々な居心地良さが演出される。清潔さは日本のデフォルトか。

今回泊まったのはGrid Hostel Lounge。4月つまり先月開いたばかりの施設。7階建てのビル全てを施設にあて、1階はラウンジに2階から上は宿泊施設に。カプセルのフロアが4層あり、そこはやはり他人同士静粛さが求められるけれど4人部屋で仲間同士ワイワイできるドミトリールームの階やしっかりとした個室の階があり、作業ができるコモンルームも最上階に。ランドリーももちろんある。

まあいい感じだった。

ウェブサイトの英語が日本人が一生懸命作ったという感じで微笑ましい。
(デザインが割りといいのでちゃんとした英語にしようって言いたくなるけど我慢かな)

http://grids-hostel.com

2015年4月29日水曜日

人間と非人間のあいまいな境界


2014年、チューリングテストに合格し、機械の領域から世界初の人工知能だと認められた「Eugine」。
 http://goo.gl/tGGfDe
再生技術により生まれた人間の身体もしくはその一部。
 http://goo.gl/b2V5mD
幼児程度の知能があるとして解放されるニューヨークの実験棟のチンパンジー。
 http://ggsoku.com/?p=88488
人間ではない人というロジックから解放されるべきとされたアルゼンチンの動物園のオランウータン。
 http://goo.gl/fXxVD6
知性や感情を持つものとしてまた人類ではない人として認められたインドの曲芸イルカ。
 http://goo.gl/1gWrX

人類と人類ではないもの、
知性と非知性、
絶対的に守られるべきものと使役されて当然のもの、
それぞれの境界があいまいになりグラデーション化してきている。

いやそもそもはっきりした境界があるというのは事実ではなく、
都合よく見えていた恣意的な視点でしかなかったのかもしれない。

信仰よりも強く当然のこととして信じてきた”至高の我々””最も尊ばれるべき私たち”という概念はゆらぎつつある。

これからは当然と思うことを捨て、社会を維持・発展させるためにこの境界を政治的に選び更新しつづけなければならない時代がとなった。

この時代では”我々=人類”という認識も変えなければならないとき来るだろう。

いまの我々を乗り越える存在が現れ、いまの我々の幅が広がり、いまの我々から外れるものも出てくるだろう。

2015年4月15日水曜日

今日は弟と義理の祖母の命日

36年前の今日、僕の最初の弟は他界した。
6つ離れた幼いヤンチャな彼と僕は庭先で遊び、
父母や祖父母は春の農作業に勤しんでいた。

少し離れたところから友人が遊びに来て
僕は彼との遊びに夢中になり、
やがて公民館前まで遊びに行こうと
幅の広い用水路の脇の土手を一緒に歩いて行った。

公民館前での遊びが一段落してから弟のことを思い出したけど
帰ってみたら行方不明になっていることで大騒ぎになっていて、

家族総出で探した結果、
まさかと用水路の下流に僕ひとりで探しに行ったら
彼が雪解けの冷たい川の水にさらされながら
大きめの石に引っかかって浮かんでいた。

慌てて川におり、彼を抱きかかえていると、
僕が川に落ちたと勘違いした隣の部落のおばあちゃんが
様子を見に来て一緒に川におりてくれた

自宅玄関で家族ができる限りのことをしたけれど、
その後病院で出来るだけの処置がされたのだろうけど、
彼は戻ってくることはなかった。

その後警察は僕を発見した場所まで連れ出し、
川の上から見つけた場所の石に向かって指差すように言う
指差す僕の姿と一緒に現場の写真を撮る流れは事務的で
僕には残酷にうつっていた。

弟はきっと友人と僕が歩く川の土手を
慌てて追いかけて来たに違いない。

そして足を滑らせて川に落ち、
溺れながら体温を失っていったに違いない。

僕のせいで彼は命を落としたとずっと思っているし、
これからもこうして毎年思い出しつつけようと思っている。

毎年どころかいつもこのことは僕の心のどこかにあって、
どこにもいくことなく一生ずっとついてまわるのだろう。

月日が経ち祖父母はもういないし、
父母はそのことを話題に出そうともしない。

今の弟はそれから2年を越えてから生まれた。

彼が幼いころ
「兄弟三人揃っていたらもっと楽しかったのにね」

彼の優しいひとことにもう彼があとから生まれてきた意味はあったことが証明されたと思っている。

残酷だけど最初の弟が無事だったら彼はいなかっただろう。

いまの弟にはいつもそうしたどこか申し訳無さを持ちながら付き合っている気がする。

最初の弟には時々思い出してやるくらいのことしか出来ないけど、
両方の弟をこれからも大事にしていこうと思う。

それから、1年前の今日のことだったと思う。
義理の祖母が亡くなったのは。

一緒に過ごせた時間は長くはなかったけれど、
大事な人が存在するのはその人がいて大事なものを育み守ったからこそ。

大阪で苦労を重ねて生き抜いた彼女の人生もこれから5分ほど偲ぶ時間をとり鎮魂としよう。

そして自分の人生に立ち戻って今日を生きよう。

2015年4月1日水曜日

聴取メモ JFNサードプレイス 月刊寺島実郎の世界 2015.03.24 「21世紀の日本の構造変化―進む貧困化と内向

聴取メモ
JFNサードプレイス 月刊寺島実郎の世界 2015.03.24
「21世紀の日本の構造変化―進む貧困化と内向」

  視聴はこちら

個人株主は人口の12%のみ
88%はしておらず、格差になっている 

株式市場は市場に投じられているお金の量によって上がったり下がったりする
現在は外国人投資家の買い越しで上がっているだけで日本人は買ってはいない
アベノミクスと言われてから外国人投資家の累計買い越し17.5兆
日本人投資家+機関投資家の売り越し16.7兆
米国が金融引き締めを始めているので金利を引き上げるので
還流していくのではないか

公的資金「くじら」が動き始めている
年金基金、いままでは6割国際で運用。株は11~12%まで
いま25%までOKというルールにしてしまった。2014年10月
年金基金137兆円GPIFが運用、28兆が株式市場に。。。
3つの共済のお金が4兆くらい入ってる?
かんぽやゆうちょも次第次第に
日銀そのものが上場投資信託のような形、、、
3つ合わせて33兆円くらい。
いま19,000円だが、この種の分野の専門家、22,000円までいくなんて言っている

公的資金20-25兆投入しても株価を維持しようとしている。
株が高いから景気が良い、景気がいいからアベノミクスは成功、政権は安心
これ危険でしょ?

公的資金がインフラに使われていくのならいいけど
市場は残酷で乱高下する

日本の実体経済
2012年9,000円日経平均、いまは19,000円→株価は倍
日本の実態経済は。。。
恩恵を被っている人はいるけど格差が広がっている
貧困が広がっている
実質ゼロ成長、マイナス成長

2000→2013年の間の
勤労者家計の可処分所得変遷
(可処分所得=給与所得−年金-税金−社会保険)
2000年47万3,000円
2013年42万6,000円
平均的家計では47,000円減 年額で60万減

日本人は貧乏になった。

消費は?
日本の全世帯
月額27,000円減
それでも増えたもの
 自動車関係費(生活のための車)移動、介護、子どもの送り迎え
 通信費−単価は下がっているけど、家族全体がスマホ、ケータイ
 健康医療関係−家計が苦しくても命に関わるものには払う
減ったもの
 交際費、外食、酒類 →日本人はしょぼくれた
 学びの力→書籍代、教養、娯楽、授業料、仕送り
  地方出身の学生はアルバイト一生懸命
  教養のための出費はせちがらく→日本の空気に影響

日本人は学ばなくなり、積極的に行動しなくなった
外の出来事に目を向けなくなった
内向きの日本になってきた。

労働分配率(労働者へ分配された金額/企業が喪失した付加価値)
 2000年67.3%
 2013年61.6%
 労働組合運動の弱体化
  連合−組織化比率は17%
  働いている人の8割以上は労働組合に入っていない
   →21世紀に入って円高圧力に苦しみに上がらグローバル化でサバイブ
    企業の体質を筋肉質に
     →「いやならやめてくれ」の世界
   企業自身は生み出した利益は付加価値を内部留保して、
    次の競争のため
    内部留保:2013年328兆円

ところがいまのシーンは滑稽
 政府がアベノミクスの効果を浸透させるため
 労組代表と企業代表に分配お願い

一時的に円安の恩恵を被っている企業がベースアップしているように見えるが、
全体観からみると物価があがっているほど賃金が上がってはいない。

川上インフレ川下デフレ
 原料上がるけど売価を上げれない。
  賃金が上がらないから

タイの正月「ソンクラーン」を前に同国航空業界が大打撃

3月半ばにICAO−国際民間航空機関がタイ航空局に「重大な安全上の懸念がある」とした問題が大きな影響となってきている。

http://goo.gl/4zzzCH

タイはミャンマーなどの上座部仏教の国と同時期に毎年4月に新年を迎え、それが年で最大の旅行シーズンとなる。

タイベースの航空会社は最近日本への就航を伸ばしていて、またThai AirAsia XやNok Scootといった新興ローコストエアラインも日本への就航を準備しいる矢先、日本はチャーター便と新就航の定期便の合計おおよそ100本の便を許可しないこととなった。

日本に続き韓国もまた同様の措置をとることとなり、30日には中国も追随、31日には米国FAAもタイ航空に対して独自のアセスメントを行うということになった。

http://reut.rs/1I3Vs3d
http://goo.gl/y8cbCX

就航できなくなった便についてはすでに大量のチケットの払い戻しが行われていて、各航空会社の痛手となっているほか、登場予定だった人たちの休暇が台無しに、また代替チケットを獲得しようという動きから価格の高騰や満席状態が容易に想像できる。日本の観光地で4月のタイからの売上を期待している向きにも影響が出るでしょう。

ICAOが指摘しているのは、タイ航空局の担当者の知識不足。「よく知らなくせに審査をしている」ということらしい。

現在軍事政権下であることが直接的に、また国際政治的に影響しているのかわからないが、我々が便を選ぶときに気をつけるべきは航空会社だけではないことを物語っているように思う。

どこの国の航空会社なのか、パイロットの健康状態に問題はないか、当日の天候はどうか、空の混み具合はどうか、管制官の資質はどうか…。

こうしたことは利用者が容易に手に入れられる情報ではなく、搭乗前ならほぼ入手不可能というものも含まれている。

(昨年墜落したスラバヤ発のエアアジア機の直接的な問題点は、悪天候x空の混雑x管制との連携とみられる。墜落した便は日曜日の就航は許可されたていなかったという事実は、遠因となっているのかどうかわからないが気味が悪い。管制を疑わなければならないのであれば、そもそも安全な航空会社を選ぶというだけでは不十分ということになる)

昨今は各航空会社の安全性を容易に把握できる以下の様なアプリも出てきていて便利になっているが、

http://goo.gl/8sjOlF

先ほど並べた各要素についても即時的に公開され、信頼できるアルゴリズムでユーザーが簡単に参照できるようになる状況が望ましく思われる。また、各情報を公開すること自体が安全性を損なうことになるというアンビバレンスも想像できるが、昨今のビッグデータ的観念から「人の目を触れない情報の共有」と暗号化で乗りきれるのではないかと感じている。

2015年2月17日火曜日

曽野綾子さんアパルトヘイト称揚?について

「世の中には『読んでいない』のに断定的に批判してしまう人が多い」
ということが本当によくわかる事例だ。

いや批判していけないのではなく、実際にその問題となった記事を読むまでは「自分の意見が浅はかである可能性」を残して語るのが賢明だろう。

曽野綾子さんのこの1件についてNaverまとめがあったのでよく知らない人はこおを参照されたい。

曽野綾子さんのゲスすぎる産経新聞コラムが英訳されNYT記者が紹介

その問題と成る記事を読んで感じられたのは、「南アを含む欧米社会」の「琴線と実際的ではないお花畑のヒューマニタリアンな普通の日本人」と「世界のいろんな地域を実際に上から目線で見続けてきた曽野綾子さんの視点」が出会う交差点だ。明らかに「Racism(人種差別主義)」と呼ぶのは言い過ぎだし、Naverまとめのこのタイトル自体が”ゲス”だ。

曽野さんの視点は実見してきた民族の多様さとそのギャップに「乗り越えることは難しい」というある種の諦観があるようで、これを批判する欧米メディアは「議論の余地無く固定的で触れてはいけない(表現の自由よりも優先される)話題」であり、ヒューマニタリアンなごく普通の日本人は、体験せずに想像されるギャップを「いくらなんでも同じ人間」と甘めに見立ててやさしさによって非難ということになっているのではないだろうか。

南アフリカ政府としては彼らのガバナンス上の正当性に根ざすことなので、話題に上れば非難せずにおれないということだろう。

私の意見は「日本に来て働こうとする人だからこそ、ある程度の柔軟性を持とうとするだろうし、そもそもギャップの大きさは様々なので世界の隅々まで一様に捉えることは馬鹿げている。差別や蔑視ではなくギャップによるジャッジで、フィージビリティを確認しつつ日本での就業を許可し、許可後は基本どこにでも住めることにし、「むしろ外国人だから住めない」とする人たちを処罰、外国人住民のコミュニティでの行事への参加を義務化し、なるべく集住させない分散型居住を促す施策をすべきだろうと思う。

ただ、いま建設業の人手不足が顕著であり、技能実習生という名目で安くて捨てやすい外国人をフィルター薄く使役することがますます増えていきそうな風潮で、犯罪者が入り込んだり、今後進むインフレ故の困窮から犯罪に走る外国人労働者が増える可能性も考えるとそれでいいのだろうかという自信のなさは残る。

シンガポールでは国民の90%は持ち家で、80%は国家が運営するいわば公団住宅に住んでいるのだが、主要民族である中華系、マレー系、タミール系がそれぞれ固まって集住することがないよう、国民の民族構成比率に応じてそれぞれの公団住宅一棟一棟にそれぞれの民族が配されるよう配慮されているんだ。これは文化的側面が時代とともに混ざり薄まりするだろうが、遠くの親戚よりも隣人という意識がうまれ、また毎日顔を見て習慣を長年見かけることで理解と諦めが進み結果社会の安全が最低限保たれるということになるということでしょう。

ただ外国人労働者の場合はメードならばシンガポール人家族の家に住み込み、建築現場などのワーカーは郊外の専用宿舎などに寄宿している。

南アフリカは民族間のギャップが大きすぎるのか、どうなのか、シンガポールのような施策は取られていないようで、アパルトヘイト後も白人と黒人は別々に暮らしている様子(行ったことはなく実際はわからないが)。

この記事を読んでそう思った。
「『半径200mで強盗にあう確率150%』『バスの乗客全員が強盗』など南アフリカ・ヨハネスブルグの都市伝説は本当か? [橘玲の世界投資見聞録]」


2015年2月12日木曜日

高速バスのウィラーが鉄道事業に進出。「京都丹後鉄道」4月開業に思う。

今年4月1日、「京都丹後鉄道」が営業を開始する。

京都丹後鉄道

この路線は現在「北近畿タンゴ鉄道」として運営されている第三セクター。同社は4月から線路を保有したまま鉄道事業の運営を民間に移譲、同時に名称が変更され「京都丹後鉄道」として生まれ変わる。

今回移譲を受け鉄道事業を行うのは「ウィラートレインズ株式会社」。高速バス業界をリードする「ウィラーエクスプレス」グループの一員だ。

高速バスのウィラーエクスプレス

ウィラーは格安航空会社の運営手法などを取り入れ、座席数限定で東京−大阪間550円などにみられる極端なプロモーション活動、まるで宇宙船のようなバス「スターファイター」や座席を斜めに配置し高い壁を設定してプライバシーを高めた「コクーン」、快適性とデザイン性が高い待合施設の設置など積極的に攻めの姿勢を取り続ける業者。サイト上では「世界中の人の移動に、バリューイノベーションをおこす」と唱われていて、2016年には海外展開を図りたいとしている。

私は、特定地域における一つの鉄道事業者の寡占的な状況をみて特に事前の知識もなく「線路と車両は別の会社で運営され、車両の方は複数の会社が同路線を運営する形があってもいいじゃないか」と競争の原理の導入によるサービスとコストへの好ましい効果を妄想していたことがあるが、昨年このウィラーの鉄道展開を知ったとき「まさにこれだ」と実現を喜んだものだった(「連結される車両ごとに別の業者であっても」とも思った)。

しかし実は鉄道事業者はおおまかに第一種から三種まで分かれていて、鉄道事業を運営する”第二種”、それと線路を敷設して二種に貸す”第三種”が別々の会社という事例は日本国内において約30事例あることを知った(第2種が複数というものはゼロだが)。

ちなみにシンガポールにおいては、全ての鉄道とその車両は国家のもので、陸運庁(LTA)がそれらを統括管理、運営自体は路線ごとに別々に、SBS Transit社やSMRT社に運営を委託している。

SBS Transit
SMRT

現行の「北近畿タンゴ鉄道」は日本で数ある第三セクターの中でもワーストの域にある赤字会社/路線で、路線がまたぐ京都府と兵庫県から毎年4〜5億といわれる多額の補助金を受け取っている。ウィラー運営となってからの同路線の補助金の具合はどうなっていくか気になるところ。

ウィラーにみられる格安バス会社や、また一般の格安航空会社の存在価値はコストを下げながら安全に確実に、そして出来る限り快適に移動できること。紆余曲折はありながらも経験を積み、適正な利益率を求めながら価格によって顧客に転化していく会社/業界の体質は第三セクター運営における補助金頼み、また経営側の自助努力へのインセンティブの不足という構造的問題を、あえて第二種、第三種に分けることにより期待できるものであろう。

第三種となる「北近畿タンゴ鉄道」はいわば大家さんとなるので、そこにゆるい経営というものは存在しづらく、影響も限定的だと考えられる。

ところで私の実家のある富山を東西に突き抜ける線路にJR北陸本線がある。北陸本線と信越本線の一部は3月13日を限りに翌日の北陸新幹線開業から第三セクター化される。またがるそれぞれの県によって境に「あいの風とやま鉄道」「IRいしかわ鉄道」「えちごトキめき鉄道」「しなの鉄道」(しなの鉄道は従来から存在。第三セクター化部分を引き受ける)と4社に分かれることとなった。

あいの風とやま鉄道株式会社
IRいしかわ鉄道株式会社
えちごトキめき鉄道株式会社
しなの鉄道株式会社

私はこの4社に渡る第三セクター化について、管理コストの面と利便性の面からいかにも「行政区分」だからと最初から別々の道を歩むことを半ば思考停止的に決定したのではないかと疑問に思っていて、各県をまたがる一社を各県が出資する形体も検討出来たのではないかと思っている。

またもう一つ気になっているのは、行政が運営する格安バス。いわゆるコミュニティバスと呼ばれるもの。一回の乗車につき100円〜200円の定額を設定し、各市町村が地元のバス会社やタクシー会社などを使って運営するものだ。大阪梅田の「うめぐる」や東京渋谷の「ハチ公バス」にみられるような都会型のものは利便性が高く、若干民業圧迫の気はあるものの、利用率も高いことから意味・価値はあるものと思われるが、人口数万人の各市町村で展開されるそれは、とても中途半端なものだ。

うめぐるバス
ハチ公バス

具体的に言えば、富山でも私の実家は入善町という人口2万6千人、人口密度360人/km2の町で運営される「のらんマイ・カー」は1日4回しかやって来ない。しかも中途半端な時間帯で北陸本線との乗り換え時間も考慮されていない。年末年始は都会から家族を連れて実家に帰ってくる人が期待され、それこそ価値が試される時なのに運休。一体何のためにやっているのか中途半端な現状だ。「これではマイカーに『のらん』でおこう」というのは土台無理だし、「故郷に帰っても足がないから不便だ」と帰る回数や滞在日数も増えそうにない。

のらんマイ・カー

(ちなみにこの「のらんマイ・カー」の意味は、挑戦的に「マイカーにのるのをやめよう」と言っているふうに聞こえるがそうではなくて、方言では「〜せんまい」=「〜しましょうよ」という意味を持っていて、このネーミングの意味は「乗りましょう」という意味である。ミスリードを引き起こすようなこのようなネーミングにも問題がある)

利便性もそうだが、もし地域経済の発展・維持を考えてのコミュニティバスであるならば、もっと大胆な腹づもりが必要で、「赤字が出るからミニマムにしよう」という発想から離れ、「全ての家屋から徒歩15分以内の場所にバス停を設置しよう」「早朝から晩まで30分に1本はバスが来るようにしよう」という設計のもと最低限のコストを試算して運営すべきで、あまりにコストが大きくやれないということであればいっそすべてやらないという決断がなければならないと思う。現状では委託先のタクシー会社を利しているだけのようなものだ。

バスの話が長くなっているが、バスには軌道がないので脱線OKとしてもう少し書くが、一昨年台湾南部の嘉義を訪れた時のこと、台湾新幹線の嘉義駅を下りて、そこにやってくるバスは新幹線チケットをみせれば無料だった。日本の新幹線の新駅にあるように、なるべく直線の軌道を描くために主要駅以外は新横浜、新大阪みたいな市内中心部から外れたところに駅があり、嘉義駅もそのような感じ。東の嘉義市、西の嘉義県それぞれの中心部のちょうど間にあるような位置にある駅から両方に向かってバスが出ていた。北陸新幹線開通とともに開く黒部市の駅にまでこのコミュニティバスは延伸スべきだと思っている(黒部インターの高速バス乗り場にもね)。

さて話はもどって京都丹後鉄道。ウィラーは京都丹後鉄道を開業することをきっかけに沿線に「高次元交通ネットワーク」を構築することを目指すという。それぞれの駅を中心にバス停と駅を同じ場所に配置し、乗り換え時間にも配慮し、これまでマイカーでないと行きにくかったところでも行きやすくするよう図っていくという。

そもそも第三セクターで大赤字を出し続ける地域だから、簡単なことではないだろうが、ウィラーがこれまで培ってきたコスト低減とフィーサビリティの高さに大いに期待したいところだ。

あと、まるで漆塗りのような素敵な車両「くろまつ号」「あかまつ号」に乗ってぜひ天橋立を観にいきたい。

「北近畿タンゴ鉄道、『丹後くろまつ号』のルート・時刻を変更」 
(レスポンス2014年11月11日)

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